小倉不逞日乗

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Odessa File:「Fears that Jet's Black Box has already been spirited away to Moscow」
2016年12月27日
古いファイルから。
 安寧を貪っている間に遼寧にやられとる人たちへ。コウイウのもありました。


2014年7月20日
「Fears that Jet's Black Box has already been spirited away to Moscow」
 噛み付いているのは何も政治家だけではなし。
 プーチンの元にボイスレコーダーは持ち去られた後で、証拠が残っていない事実から、分かって打ち落としたのではないかという勢いでこちらではMoscowを叩いている。エゲレスの「旧西側の人間」の中には刷り込みがあるのだ。
 「彼らは民間人だ。100%間違いない」
 そういう更新記録があったというのがこの記事の核心なんだけれど、それは「London Evening Standard」も追随して面白くなってきた。

 London Evening Standard (3)

 世界中がこの調子なのは、故無いわけではないと俺は想う。通り一辺の政商と武器密輸のシンジケートというだけではない。確かにそれがこの地区の問題としてあるけれど。
 ドイツのナチの逃亡を助けたといわれるシンジケートがこの土地の南部にある都市、Odessaをそのまま付けていることがあるだろう。

 
       London Evening Standard (1)

 さらに、これらの結果にはなるのだが、地域や社会が乱れた結果の人心荒廃のために、事実、「Ukraine 21」などの残虐で猟奇的な衝撃映像が、以前からこの地区に対する全般的な不信として我々の中に消し難いものとして拭えないからだろう。
 このフィルムはネット上に流布された史上初のスナッフ動画とされるが、その筋の異常愛好者たちの間では、そのずっとずっと以前から猟奇殺人の実写映像は取引されていたと言われる。そういう異常な映像をガキ共が撮影をしてネットに載せる土地ってのは、何とも言えないものがある。
| 旅・行動の記録 | 17:47 | comments(0) | -
Londonから来た男――Chuck Harvey(2)(2月19日記す)。
12月12日
こんなんもありました。
 Chuck HarveyはLondonでは暮らしていないのでこちらでは会えないからな。ま、どうなることやらの日々ですわ。どちらさんもしくよろで。


いきなり補記
Chuck Harveyは、つまり、岡崎京子と同じで、俺にとって、昭和の同級生なんだ。
懐かしくてねえ。こういう話ができることが楽しいよ。感激した。50年も生きてきて、今頃、「Punk Rock」なんての、言わんだろ、フツーは。泣けるう。
その岡崎京子の展覧会用の本、そういや、「ディスクユニオン」でも積み上がっていたわいなあ。若い人には再発見ということになるんだろう。
そうそう、ジョージの白山眼鏡で、Sid Viciousのスエーデン・ツアーの途中で撮影された写真をベースにしたシルクスクリーンを見たよ。昔のJames Deanになったんだねえ。ヤツは命懸けでその目的を果たしたんだねえ。



3月29日
Londonから来た男――Chuck Harvey(2)(2月19日記す)。
 北方の某空港のLoungeで書いている。Flightは雪のためにHelsinkiからの到着が遅れ、出発も20分ほど遅れる予定とアナウンスされた。
 移動ばかりで時間が無いため、しっかりとニュアンスを書き記しておく自信が無いが、Chuck Harveyの語ったなるたけそのままを箇条書き的に記しておく。
 Chuck Harveyの最大のヒーロー、Joe Strummerについて。
(1)Joe StrummerはWorking Classではないが、Working Class Heroになりたかった。
 Joe Strummerは労働者のための歌を書いて歌った。彼自身の出自は厳密にはWorking Classではない。だから、労働者のための歌を書いてはいけないなどという理屈は無いだろう。彼はHeroになりたかったのだ。だって時代は1970年代だぜ。

S800@旧居留地 (1)
昨日居留地で展示されていたホンダのエスハチ。神戸は好きモノ多いんだろう。楽しそう。

(2)自分はWorking Classだが、Joe Strummerの気持ちは理解できる。
 Joe Strummerの出自の矛盾と葛藤はClash絶頂期には世間に知られていなかった。労働階級出身でない人間が労働者に呼びかけたが、彼を俺たちは受け容れたんだ。しかも熱狂的に。俺たちは彼の繊細さが彼を傷付けていたのを後になって知った。今になって当時のJoe Strummerを偽善的だったと非難するイギリス人はいないよ。
(3)イデオロギーには乗り切れないところはあるが、彼の全てを受け容れたい。
 俺たちはヒドイ貧乏な時代に少年時代を送ったから、そのまま共産党の主義主張は受け容れないよ。むしろ当時は極右のNational Frontの主張の方がしっくりきたさ。だが、彼の存在は受け容れる。ヤツはあの時代の俺たちみたいなガキ全員の原罪を背負って社会と闘ったんだと俺は理解しているからさ。
(4)ClashはJoe Strummerのバンドで、他の3人は結局、Joeのバンドの仲間だ。
 ClashはJoe Strummerのバンドであった。それは時が経つにつれて間違いないという確信が深まるわね。Mick Jonesは当時は人気があったけれど、Joe StrummerこそがClashだったってことは、もう明らかさ。彼こそがClashだったんだ。
(5)彼らは「London Calling」までが好きさ。「Sandinista」以降はシリアス過ぎてキツイ。
 Joe Strummerの支持した世界各国の全体主義政党の問題(ニカラグアやカンボジア)、さらにバンド内部の問題が表沙汰になった「Sandinista」以降は徐々に聴き通すのはツライものがある。俺もバンドを始めていたこともあるな。ちょっとウザイ。
 Clashと共に無視のできない存在だったJohnny RottenとSex Pistolsについて。
(1)現役時代、Malcolm McLarenの操り人形だったという側面は否定できない。
 Malcolm McLarenの操り人形という側面は少なくとも初期はあったと想うし、彼ら自身は僅かに2年ほどの活動期間しか無かったから、この構図はバンドが解散する最後まで基本的には変わらなかった。それが若かった彼らの罪ではないけれど。
(2)それでも代表曲はイギリスのWorking Classのホンモノの愛唱歌になった。
 Malcolmは音楽についてだけは彼らを言うなりはできなかったんだ。Sex Pistolsの代表曲の何曲かは本当に素晴らしい。歌詞もメロディーも最高だと想う。
(3)再結成で真実を確かめられたのは良かった。Rock & Rollの古典だ。
 バンドの再結成は観に行った。彼らはAlan McGeeの指摘したように、根本的にはシンプルなRock & Roll Bandだった。素晴らしかったが、それ以上のものは無い。同時代性というか現代性は最早喪われていたのではないか。素晴らしかったけれど、過去の幻の追体験だった。誰も現役時代の彼らを観たヤツなんかいないもんな。
(4)Johnny Rottenは頭がキレ過ぎていて、最近は笑えない。
 最近のJohnny RottenはMusicianというより社会風刺家と考えた方がいいだろう。Working Classを代表する風刺家だが、辛辣なコメントは、キツくてあまり笑えない。強いて言うと、Rock & Rollのギョーカイでは、コメントのキレが良過ぎて、白けて浮いてしまうというのが真実じゃないかな。
(5)再結成でワールド・ツアーを成し遂げたことでSex Pistolsは終わりでいい。
 Sex Pistolsは19996年のツアー以降も何度か再結成をしたが、もうあれで十分ではないかな。Clashと違って、Johnny Rotten以外のメンバーも、Glen Matlock、Steve Jonesらは共に充分我が強い。4人は無理に一緒にいる必要は無いだろうし、無理に新作を作っても、それはそれで金が目的のようで見たくない。
 以上、Chuck Harveyのコメントを紹介した。同学年だから、殆ど感じ方が一緒なのには驚く。Joe StrummerをWorking Classという立場・視点からでも、受け容れているのは“感動的”だった。Joe Strummerに教えてやりたかったな。泣いて喜んだか知らんぜ。


追記
追悼原稿書くのは諦めた。休み無し。
| 音楽 | 09:05 | comments(0) | -
荒れる倫敦 宗重┐皺塙ならば。
11月18日
こんなんもあった。
 こちらは2014年8月7日に上げていた話だね。もう、時効だろう。こんな人間がいること自体、情け無いけれども、それを許している日本の「空気」が、やっぱり、ダメなんだな。俺は、そう想うぜ。
 真田幸村は、今年の大河ドラマで盛り上がっているようだけれど、ま、こんな調子には行かないんだろうしなあ。

=======================================================================
8月7日
荒れる倫敦 宗重┐皺塙ならば(7月16〜17日記す)。
 羽田はどうも慣れない。家からラウンジまでは何も問題が無ければ45分、なんてことも可能だが、何かしら引っ掛かる。今回も、出発から波乱含みだ。あの不倶戴天の敵に遭難。
 我が家を8時37分に出発、47分発の南武線は54分には終点のJR川崎駅。乗り換えで余裕を10分見て、9時4分の羽田行きに飛び乗れば19分には羽田空港国際線ターミナル。そこまでは、確かに順調だった。
 (!!!)
 成田空港と同じように3階にエレベーターで移動しようとしたら、ヤツが乗ってきた。殴られたような衝撃だ。大きな貨物用とはいえ、同じカゴの中に、である。
 (何でコノ野郎が)
 目を合わせなかったことを天に祈った。クルリと背中を向けた。
 (また某地の女に逢いに行くのか)
 どうせ女を買うんだろ。テメエはどこの言葉だって判らず、クチも聞けねえしな。

真田十勇士勢揃いの図。

 信じられない鈍感さだ。コイツの図々しさが羨ましい。自分たちのやってきたことなど、恐らく理解していないのだろう。帝国日本海軍の軍令部長みたいな積りなんだろう。
 (家から家族全員に放り出されて今も養育費は払い続けか)
 お子さんは家から出られなくなったのも、テメエの品行のせいだろうぜ。
 我が一族では兵学校出身者は人気があったとはいえ、御前会議でご機嫌伺いばかりしていた軍令部は評判が悪い。コイツは思えば軍令部長気取りだったな。
 (犬畜生にも劣るヤツだ)
 とっととチェックインする。預けた荷物は12.7kg。辺りを見渡すと、万歳消えたようだ。どうせお目当ての売女はCathay Pacificとか中国南方航空の行く先にいるに決まってらあ。
 大戦中も21世紀の今さえも、現場の人間がテメエのような人間に苦渋を舐めさせられる。机上でボケた立案をしても詰め腹を切らされるのは前線の指揮官だ。戦地に出てもロクな指揮もできないが、行く先々で讒言には調べもせずに飛び付くのは調査官気取りだからだ。そして卑怯にも背後から斬りかかる――理不尽な想いを抱えて悶死する人が絶えないのも故無いわけではないのだ。

  1936年倫敦バッキンガム宮殿衛兵交代。

 何故にこんな天上天下特筆大書すべき人間のクズみたような男が大手を振っているのか。考えてみると腹立たしい。世間に理不尽なことは数多くあれど、こんな人間がいる組織のあり方が本質的な日本社会の問題なのだ。だから今だに胡散臭さと古臭さが付きまとう。「透明性」が低いと感じられる最大の理由はそこさ。
 雇用の流動性が高まれば、こんな人間はニッポンの社会からそもそも不要になる。
 海軍様でも軍令部が予算の獲得で権限を拡大し、組織の権益を掌握していったように、どんな大組織でも、流動性が低く、硬直化すれば、何時でもどこでも同じことが起こる。まあ、俺はあんな人間にならなくて良かったと想うくらいのものだ。
 だから大阪夏の陣で徳川本陣に真一文字に突進し、馬上から家康を狙撃した真田幸村は俺には似合わない。牢人を駆り集め、練りに練った作戦で徳川側20万の将兵を呻吟させた一代の英雄の享年49歳とも50歳とも言われる。俺の年頃じゃねえか。
 武将として最高に油の乗った年齢であったのだろう。だが、真田幸村は死地を見つけたのだ。徳川家康は斬り死にをする相手としては最高の相手だったからだ。俺には、そんな相手はいない。敵がいるとすれば、国だ。ま、またまた誤解されそうだけど、それが本音。


追記
朝日新聞が従軍慰安婦問題で過去の過ちを「一部」認めたの報。色々言いたいことはあるが、一つだけ言きたいのは、良かったんじゃないの?、ということだ。後輩のNさんが引き継いでガンバルのか。
| 旅・行動の記録 | 18:02 | comments(0) | -
海の道(9)――漂泊者伝説(上)。
こんなんもあった。

2014年9月16日
海の道(9)――漂泊者伝説(上)。
 「海南小記」[柳田国男著, 角川学芸文庫]
 「海南小記」本篇に続いて後半にある小篇集は、やはり九州から琉球を歩いている時に、旅の途上で書かれたものや講演録だ。
 「与那国の女たち」は歩いている場所のナマの聞き取りだからよく分かるが、「炭焼小五郎が事」で面白いのは奥羽や近畿道の伝承と呼応しているところ。この「炭焼小五郎が事」は安室の村の野呂の神事の後の鉦や金属の擦れ合うような音の話を連想させる。
 安室で音を出すのは山男でも「炭焼」職人ではなく、「ふいご」を使う「たたら」製鉄をした山中の鍛冶職人のことだろう。また、バリエーションとしては、砂鉄を使った鍛冶以外にも、熱した鉄を型に流す鋳鉄職人もあるようだ。
 つまりここで柳田の言いたいことは「炭焼小五郎」の伝承は南海の島々もほぼ本州各地と似通った内容で伝わっているということであり、安室の山から聞こえる音はその伝承と呼応する漂泊者のそれだろうという暗喩でもある。

         柳田國男 (掲載)

 先日は、「本書には『炭焼小五郎が事』」という“卑しい炭焼”の若者に都の貴族の娘が嫁に来て炭焼長者になった臼杵の奇譚もあった」と記したが、少し深く読み直してみると、柳田の言いたいことには、もっと違ったニュアンスもあることに気付いた。
   「筑紫豊後は臼杵の城下
   藁で髪ゆた炭焼小ごろ」
 “卑しい炭焼”はここでは「山窩」のことでもある。

     岡本太郎と太陽の塔
 クレイジー・じょんこ様に頂いた「ゲゲゲの鬼太郎」のおでん缶に乗り出した太陽の塔君。

 そして貴族の娘は、殆どの伝承で醜い容貌か、顔に痣があるが、篤い観音信仰者であることが多い。信心深い貴種の名には必ず「玉」の字が付いていて神のお告げで沐浴すれば美しく生まれ変わったという話は仏法系の伝承の混交という見方をしている。
 貴種は「山窩」に会うと都から持参した小判を与えるが、「山窩」は池で鵞鳥を見つけると頂いた小判を投げつけるから、当然、小判は重みで池に沈んでしまう。
   「おし(鴛鴦)は舞い立つ小判は沈む」
 なぜ高価な金を投げるのかと問われると、
   「あんな小石が宝になれば
   わしが住み焼く谷々に
   およそ小笊で山ほど御座る」
 「こんなものなら俺の家の近所に幾らでもある」と「山窩」は答える。
 山深いその住処に行くと、言った通り金塊が出てきて、それを売って長者になった――バリエーションは多々あるが、この伝承物語の原型は、およそ日本各所に伝わっていて、この伝承にちなんだ池も各地に残っているというわけだ。南海各地にも伝えられている。だから琉球と日本本土とは昔から深い関係があったのだ、というのが結論めいた部分。序文にあるBasil Hall Chamberlain(1850-1935年)への献辞に添っている。
 というわけで、本稿、明日も続く。
| 書籍 | 22:02 | comments(0) | -
産業史の中で――カフェレーサー?、”バイクオヤジ”集まる。
こんな話も書いていたのか。


2014年9月7日
産業史の中で――カフェレーサー?、”“バイクオヤジ”集まる。
 ホンダのドリーム号で150ccの輸出ラインだったCA95。俺の生まれた時代だから、恐竜時代の古代のバイクと呼んでいいだろう。 

HONDA CA95 Dream Club 1965 Advertisement

 当時の日本のオートバイは、主に主力のアメリカ市場でのヒットを狙って製造されていた。ホンダでも、20世紀の人類の産業史に残るSuper Cubが市場に投入された後でも、このようなゲタ代わりのバイクは、海外市場向けには輸出が続いていた。
 何故か、某王国の某都市で、こんなクラブのメンバーが集っている場所があるなんて、とても不思議な気がする。だけど、市場に投入された後で、流れ流れてこちらまで落ちてきたのか、当時から、こんな東南アジアの王国に一部が入り込んでいたのか。
 赤く塗りなおした美しい塗装に俺は足が止まってしまった。

HONDA CA95 Dream Club (1)

 俺を振り返って言う。
 「どうだ、すげえだろ。オメ」
 俺たちの行ったのは、某ラウンドアバウトに面した、某カフェである。
 俺を手引きしたのは“ナナハン・ライダー”こと、T君。彼は、CB○○○を今でもニッポンで所有している。だからホンダ・ファンでもある。

HONDA CA95 Dream Club (2)

 仲間はバイク談義に花を咲かせているが、一番若い男で40歳を超えている。
 「遅いのよ。このバイクは、スピード出ないのよ」
 リーダーのおじさんはもう還暦を越えていたのだが、
 「とても美しくて好きよ」
 そうなのだ。今ではSuper CubとCB125ccに僅かに残るくらいだけれど、リターン式のロータリーのギヤ。だから、バック・ステップでもなんでもない。

HONDA CA95 Dream Club (3)

 しかも、フロント・フォークはテレスコ・ピックアップかどうか。
 当時は、まだ技術的に単車用のオイル・ダンパーが開発できていないから、プレスで折り曲げた四角い筒の中にはバネを仕込めない。フロントのタイヤの軸の脇にバネ仕掛けでクッションを作った涙の出るような代物である。
 今も少し前のSuper Cubに残るが、今のLitttle Cubはわざわざ乗りにくいテレスコ・ピックアップに改造する日本人がいるそうだ。オタクの世界は奥が深い。
 「お金になりませんが、愛しています」
 考えてみると、タイ人は、こんな風に産業史の中で可愛いものを大切にするし台湾人も同じようにオタクがいる。しかし獄中人はこういう人たちはいない。
 だが、日本人ではどうだろう。仲間意識も薄れているから、こういう愛好者の集いも今では少なくなったようだ。
 こういった伝では、少し彼我の共通点や相違点を考えてみてもいいかな。ニッポン人って人種は、特殊なところもあるけれど、その影響は東南アジアに顕著でもあるんだから。
| 不逞日乗 | 22:10 | comments(0) | -
越僑vs泰僑――卵麺篇
古い行李から。

10月XX日
越僑vs泰僑――卵麺篇
 10年前には考えられなかったが、今ではカワサキ・シチーで本格的な「バー・ミー・ヘン」が頂ける時代になった。それだけ、泰僑の諸兄姐が日本に来るようになったからだ。売春なんかで荒稼ぎするためではなくて、いい人が移住してくれるなら、こんないいことはないのだ。
 前はわざわざ電車で錦糸町まで足を伸ばしたものだけれど、今は、本当に気軽に食べられるようになって来た。

バーミーヘン (掲載)

 それでも越僑の諸兄姐はどうなのだろうか。San Franciscoでは、この十余年の間で、外食業界における華僑の地位は相対的に明らかに下がり、越僑が大きく幅を利かせるようになってきた。
 こちらは某店の「ミー・ハイ・サン」だ。これは、昔は、Sunset Districtにある中華街の中の越僑の店が集まる料理店でしか出なかったのだが、今ではDowntownでも気軽に喰える。

ミー・ハイ・サン(掲載)

 卵麺でも、越僑vs泰僑では勝負はつかない。中華料理界は、金満家の成金本土人のためにばかり、脂っこい料理を指向して精進を怠ると、何時の間にか南の彼らに引っくり返されるのではないかと俺は見ているのだ。
 だって、どう見たって、総合的に見れば、越僑と泰僑の作る料理の方が、華僑の料理よりずっと健康的だものさ。
 10年後にはどうなるか分からない。
| 喰う | 16:25 | comments(0) | -
スーツケースブルース――2015。
12月31日
スーツケースブルース――2015。
 不思議な年だった。図らずも春にはアメリカ移民の末裔の人々と品川でお会いした。San Francisco Connectionの生まれた年になったわけだ。
 さらに夏には京都を攻め、和食を堪能した。桂離宮と別邸も訪ね、安土桃山から江戸幕府へ移行する時期の皇室と徳川家との軋轢も実感することになった。
 師走は名古屋のおばさんとも20年ぶりにお会いした。彼女は我が一族には珍しくゲージツ系である。ゲージツ系のおばさんから、我が岡田一族は安芸浅野家の砲術指南役だったという話までこぼれ出たワイ。

              「スーツケースブルース」
              スーツケースを持って旅に出よう
              汽車の切符を手に入れて
              どこか知らない所へ早く逃れよう

              こんな想いには二度と出逢うまい
              新しい道をみつけたら
              迷わないうちに早くここから出て行こう

              涙流すのはもうやめよう
              くよくよしてたらきりがない
              もう二度としたくない
              ああむなしき愛

      年賀状2016旅立ち篇改

              「おさらば」
              やっとここともおさらばします
              色んなことがあったけれど
              やっぱりここともおさらば
              いらないものは いらないものは
              すてて ゆくのさ
              ただ持って行くのはお前

 さて、来年はどんな年になりますやら。大波乱の年になると俺は踏んでいるわけよ。
 アメリカの大統領選があり、夏には日本でも参議院選挙があり、低迷した石油価格が各方面に大きな影響を及ぼすだろう。その前に、日本国内で大きな再編があるはずだ。
 ま、どんな年でも色々あるわけで、来年もなんやかんやありんくりんありますやろ。
 というわけで、諸兄姐、良いお年をお迎え下さい。どうぞ、ごきげんよう。
| 不逞日乗 | 19:18 | comments(0) | -
嗚呼、月の法善寺横町。
12月31日
嗚呼、月の法善寺横町。
 今年のChristmasには母と娘からこういうブツを頂きました。
 「独りでも、しっかり暮らさんとあかんよ、アンタ」
 というメッセージ付き。トホホのホ。
 コイツは小出刃でもないし、フツーのペティ・ナイフよりもしっかりしとるけん、何でもデケるもんよね。
 そいで三徳庖丁なんやってさ。肉も魚も野菜もこれ一丁で足りるちうねえ。刃渡り13cmやけど、三島由紀夫先生の切腹した時の腹の傷の深さは8cmやけん、充分やて。何が充分なんや。

      GLOBAL庖丁 (2)

              包丁一本 さらしに巻いて
              旅へ出るのも 板場の修業
              待ってて こいさん
              哀しいだろが
              あゝ 若い二人の
              想い出にじむ 法善寺
              月も未練な 十三夜

           「こいさんが、わてをはじめて法善寺へ連れて
           来てくれまったのは『藤よ志』に奉公に上がった
           晩やった。はよう立派な板場はんになりいや
           言うて、長いこと水掛不動さんにお願いしてくれはり
           ましたなあ。あの晩から、わては、わては、
           こいさんが好きになりました」
 
              意地と恋とを 包丁にかけて
              両手あわせる 水掛不動
              さいなら こいさん
              しばしの別れ
              あゝ 夫婦善哉
              想い出横丁 法善寺
              名残りつきない 灯がうるむ

小鹿田米セット (2)
 こちらは小鹿田の米セット。固体で摂るか、液体で摂るか。どっちも、どっちもや。

 というわけで、押し迫ってまいりました昨晩は、新宿「紅布」にてピーズ最終。シンイチロウにリクエストしたのはご存知、


 「君は僕を好きかい」


 でありました。
 昨日の客はあまり知らなかったみたいだし、鍵盤も入っていない3人編成だから、そもそもはるは歌わないだろうとダメ元でいたのだけど、シンイチロウはリクエストを伝えて呉れていて、何と、はるは新曲まで作っていた。そう、俺たちももう50歳を超えたんだからなあ。
 この話はいずれまたどこかで。The ピーズの皆さん、どうも有り難う。本当に励みになりました。嬉しかったぜ。
| 不逞日乗 | 10:12 | comments(0) | -
もう、携帯電話受けられへんで。
12月30日
もう、携帯電話受けられへんで。
 先ほど、auで携帯の契約解除してしまった。もうCメールも受けられへんで。堪忍してや。いよいよ大晦日が目前。夜逃げも迫っとるワイな。

au契約打ち切り20151230
| 不逞日乗 | 16:31 | comments(0) | -
最終兵器? (2)
12月29日
最終兵器? (2)
 昨日は湘南方面からジョニサンが、「MotorheadのLemmyが死んだ!」と騒いできてうるさかったわいなりー。
 荷物と格闘開始。すると、こちらは78年の春先、Steve JonesとPaul Cookがバンドを解散して南米リオデジャネイロまでMalcolm McLarenの金で飛んだ時に撮影された忌まわしいRonnie Biggsのシャツが出てきたっけ。

      Seditionaries (2)

 シングルはダブルA面のカップリングで「God Save the Sex Pistols / My Way」で発売されたのだが、明らかにまだこのシングル盤のデザインは「God Save the Sex Pistols」がA面側に印刷されていた。
 SId Viciousからすると、「ここで死に花を咲かせなければ後世に名を残せない」と想ったか。まぁ、安土桃山の戦国武将ならそう真剣に考えたろうけれど、ラリっぱの少年がそこまで考えたかどうかは分からん。

       「Cosh the Driver」シングル・ジャケット(1978年)

 しかし現実には1963年に起こした列車強盗事件で、Ronnie Biggsは運転手のJack Millsを鉄棒で殴り気絶させて、利き目の右眼に深い傷を負わせた。
 事件から7年後、Jack Millsはこの時の負傷が元で亡くなっている。殉職ではないけれど、気の毒なことだ。
 つまり、Ronnie Biggsらは、強盗罪だけでなく、今で言う殺人致死罪まで犯した上で、インターポールの捜査網をかい潜って、ヨーロッパからアセアンまで、さらに遠く南米ブラジルまで高飛びしたというわけだ。
 笑いは止まらないだろうが、その後の生き様は惨めだった。銭金はあるが、尊敬されない暮らしというものは誠に惨めなものさ。

              The Victim。

 Jack Millsは当時還暦前の57歳。海兵隊脱走の前歴のあるRonnie Biggsらは30代前半の屈強な男たちだったから、鉄棒で武装していればわけは無い。
 Ronnie Biggsの生涯は、社会病質者(Sicopath)の典型だろうと感じられる。またそれに群がった男たちも、実際、社会病質的な面を持っていた感じがある。代表がMalcolm McLarenなのは付け加える必要も無いだろうけれど。
 その態度とか手法にぞっとするような悪意が感じられる。俺のような悪ガキには面白かったのだけれど、今では、もう耐えられない。

   Ronnie Biggs晩年。

 Ronnie Biggsは、晩年は何度も母国イギリスに嘆願して、最終的にはメディアの用意した金で母国に戻り、即日、逮捕・収監されたといわれる。
 死ぬまでメディアを使って金を儲け、世間に露出した。犠牲者の遺族の心情を考えると、Malcolm McLarenの商売の手法は、やはり、人の道を踏み外しているという感じが否めない。他人のジンセイを踏み台にした、汚い男だよ。
 しかし――こんなボロのシャツでも俺にはとても懐かしいシャツで、暴走族の集会なんかで着たりしたもんだわ。1970年代末のことだもの。今とはもうまるで時代が違っている。
 大嫌いだけれど、まぁ、言われれば、秘密のナニくらいは出すわね、なんて。淀君みたいだぜ。アハハハハハハ。


追記
本日は新宿紅布でピーズ。これでもう、打ち止めだ。本当に打ち止めになるかしらん。
| 音楽 | 07:12 | comments(0) | -
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